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第15号 1/30 2004
『神経眼科文献データベース』

1.神経眼科の用語メモ
眼科には『medical ophthalmology』『surgical ophthalmology』『neuro-ophthalmology』があり、診療や教育や研修、学会組織はこうした枠組に準拠して運営されている.視覚系に加えて眼球運動系や瞳孔系など広い範囲の課題をカバーする『神経眼科』は、国の内外でかなり古い歴史を誇っている.『神経眼科』の世界の現況を能率よく正確に展望する近道はインターネットである.原資料は米国 NLM の on-line データベース PubMed (2003年12月15日)から収集した.世界各国から最近10年間(1993-2002)に発表された英文原著論文(journal article)を標準医学検索用語(Medical Standard Headings, MeSH)の route MeSH [Eye Diseases]、major MeSH [optic nerve], [visual pathways], [visual cortex], [ocular motility disorders], [pupil] を用いて集めた.こうして収集した論文は総数10,106篇であった.書誌情報としてタイトル・抄録・著者所属・著者名・索引用語・雑誌名を抽出してデータベースソフト FileMaker にダウンロード、『神経眼科文献データベース』を作成した.このデータベースを利用するといろいろなことがわかってくる.ところで、日本神経眼科学会が昨年刊行した『神経眼科用語辞典、』は、隣接領域を含む専門用語を網羅して克明な解説を加えたもので、診療や教育や研究のレファレンスとして大いに活用されるであろう.英文表記を主とし和文表記を従としている.英文論文でも同じ用語が異なる綴りで表記されることがある.たとえば、視神経乳頭は optic disc であったり optic disk であったりする.以下は、『神経眼科文献データベース』で調査したいくつかの重要用語の使用実態である.
 1.optic discとoptic disk
「視神経乳頭」は神経眼科論文で最も頻繁に現れる用語の一つである.162 論文のタイトルに現れ、7割強の表記がoptic discで約3割がoptic diskである.disk の使用頻度を国別にみると米国、ドイツ、日本からは約3割だが、英国と豪州からは皆無である.ちなみに、『神経眼科用語辞典(神眼用語)』は もっぱらdisc と表記し、日本眼科学会『眼科用語集第4版(日眼用語)』はdiscを優先している.
 2.optic chiasm とoptic chiasma
chiasm/chiasma の割合は 53/9 とchiasmが圧倒的に多用されている.この傾向は発信した国や地域に依存しない.『神眼用語』はchiasma、『日眼用語』はchiasmである.
 3.hemianopiaとhemianopsia
論文のタイトルに半盲(1/4半盲)が現れることは少ないので抄録を含めて調べてみると、hemianopia (quadrantanopia)は 95 論文に、hemianopsia (quadrantanopsia) は 47 論文に現れる. -anopia/-anopsiaの比率は 2:1 である.英国からの論文はhemianopiaだけを用いている.『神眼用語』は hemianop(s)iaとし、『日眼用語』はhemianopiaを優先している.
 4.Fisher syndromeとMiller Fisher syndrome
『神経眼科文献データベース』10,106 論文中 86 論文のタイトルにFisher syndromeが現れる.Miller Fisher syndromeの頻度が大きく(70/86)、Fisher syndrome は例外的(7/86)である.この症候群はトロントの神経内科医Charles Miller Fisherが1956年に発表した古典的論文にはじまる.Miller-Fisher syndromeというハイフン付き表記(8/86)は冠病名の人名表記ルールに抵触する.我が国ではしばしばFisher 症候群が使用されるが、国際発表ではMiller Fisher syndromeとするのが無難だろう.『神眼用語』ではFisher syndromeとして解説され、Miller Fisher syndromeが別記されている.
 5.Adie syndromeとHolmes-Adie syndrome
Adie syndromeとHolmes-Adie syndromeとが相半ばして用いられている.『神眼用語』では両者が併記されている.AdieやHolmesに先行した他者の論文発表がいくつかあるが、表記の経緯は調査中である.
 6.症候群の収載
『神経眼科文献データベース』に収載された 10,106 論文のタイトルに神経眼科関連の syndrome が現れるのは 1,140 件と1割強である.ランキング 10 位までを挙げると、Horner, Miller Fisher, Kearns-Sayre, Duane, Wolfram, Tolosa-Hunt, Brown, Steele-Richardson-Olszewsky, Adie, Guillain-Barre の各 syndrome である.1位の Horner syndrome には Claude Bernard-Horner syndrome と表記した論文が1件ある.近代実験医学の開祖というべきパリの Claude Bernard が Horner に先行してウサギで頚部交感神経切除によるユニークな現象を記述していることから、フランスからの論文は現在でもBernard-Horner syndrome あるいは Claude Bernard syndrome を用いている.Argyll Robertson syndrome (pupil) はこの 10 年姿を消している.pseudo-Argyll Roberton syndrome をタイトルに含む論文が1件ある.なお、『神眼用語』のみならず教科書や参考書は昔も今も Benedikt syndrome, Fovile syndrome, Millard-Gubler syndrome という中脳被蓋症候群を掲載しているが、『神経眼科文献データベース』には見当たらない.
 7.Pseudo 病名
似て否なる病態を表わすために付加されるpseudo を接頭語とする病名として、『神眼用語』は pseudo abducence palsy, pseudo Argyll Robertson pupil, pseudo-Foster Kennedy syndrome, pseudo-MLF syndrome, pseudopapilledema, pseudoptosis, pseudotumor cerebri, pseudotumor orbit, pseudo-von Graefe sign を収載している.いずれも『神経眼科論文データベース』に現れる.最頻は pseudotumor cerebri である.『神眼用語』に収められていない pseudo 病名には pseudoaneurysm, pseudo-superior oblique overaction, pseudo-Brown syndrome, pseudo-oculomotor nerve palsy, pseudo-double elevator palsy, pseudotonic pupil がある.また、 orbital pseudo-pseudotumour, pseudo-pseudotumor cerebri, pseudo-pseudo-Foster Kennedy syndrome を主題として珍奇な症例報告がみられる.

Charles Babbageとophthalmoscope
 Herman von Helmholtzが検眼鏡を発明してから150年余りになる.これが眼科の技術革新を代表することは衆目のみるところだが、その数年前にBabbageが同種の機器を作成していたことはあまり知られていない.
 『生きているヒトの眼底を見るのは無理である』と長い間漠然と信じられていた.一方、ある種の動物の目が輝いて見えることがあるという現象も古くから知られたが、なぜそうなのかという科学的検討は19世紀まで持ち越された.重要な史実を拾ってみると、1704年にMeryは猫の目を水中で見ると眼底が輝き血管らしいものが見えたと報告した.これが生体で眼底を覗いた最初であろう.1709年になるとHireは、水中では角膜が屈折を見かけの上で失うから眼底が見えるのだとMeryの観察を説明した.一方19世紀初頭まで、ある種の動物の瞳孔が輝く現象に関心が向けられ眼底で光が発生して神経興奮が起こるためだとされていたが、暗室では光らない、瞳孔を直視しないと光らない、眼底に反射板(タペーツム)がある、といった現象が見い出されて却下された.次いで、Purkinje shiftやPurkinje-Sanson imagesで有名な生理学者Johannes Purkinjeは1823年、毛様体のBruecke筋で有名なBrueckeは1845年、ロンドン大学病院の研修医W Cummingは1846年、それぞれヒトの眼底を見ることに成功したと報じた.そして、1847年のBabbageの検眼鏡につながったのである.
とあるホームページにはこう書かれている.「Hemholtz was neither the first person to look into the living retina nor the first to fashion a device for viewing the retina. In 1823 Johannes Purkinje observed the back of the eye and in 1847 Charles Babbage fashioned an ophthalmoscope similar to the one later developed by Helmholtz. The work of Purkinje and Babbage lay largely unknown. Helmholtz rediscovered the ophthalmoscope and immediately realized and communicated its importance].しかし、この論評は正確ではなく、あまりに身贔屓すぎるのであって、Helmholtzが発明の栄誉に輝くことはまぎれもない事実である.しばしば出てくるBabbageとはどんな人物でどんな仕事を残したのだろうか.

 Charls Babbage (1791-1871)はイングランド南部の生まれ.ケンブリッジ大学のTrinity Collegeに学び、数学や工学を専攻、当時の先端科学技術の推進者である.最も有名な業績はAnalytical Machineあるいは Difference Engineと呼ばれた計算器の考案であった.先鋭すぎたため政府の資金援助が打ち切られ商用化に失敗したが、前世紀後半の電子計算機時代になるとBabbage は先駆的業績によって「father of computing」として再評価され、復元された機器が大英博物館に展示されている.発明や新技術は数知れないが、いくつかを挙げると対数表作成(1-108000)、表計算器、鉄道ダイア作成機、色フィルターを用いた舞台照明、水上歩行器、機関車・路面電車の排障器、写真製版法、暗号作成解読器、灯台の明滅灯、望遠鏡の倍率計、グリニッチ標準時の設定がある.きわめつきの秀才であったBabbageは25歳でFellow of the Royal Society (英国学士院会員)に選ばれ、37歳でケンブリッジ大学Lucian Chair数学教授(その昔Newtonが就いた名誉あるポスト)になり、学界の大立者として英国自然科学協会・応用物理学会・数理統計学会を主導した.
 Babbageの検眼鏡のことだが、単眼複視に悩んだ彼は、眼底を調べることができれば原因がわかるかもしれないと考えたのが事のはじまりだと伝えられている.どんな条件が満たされれば眼底が見えるかを原理的に正しく理解し簡単な道具を作った.その『検眼鏡』をロンドンUniversity Collegeの眼科担当外科教授Thomas Wharton Jonesに見せて自分の眼底検査を依頼したのだが、これが運の分かれ道だった.Wharton Jonesは「この道具は使い物にならない、未熟だ」といって問題にしなかったのだ.Babbageはすっかり気落ちして、検眼鏡に興味を失って手を引いたのである(歴史にifが許されれば、上記の研修医Cummingに持っていけばHelmholtzに先んじたであろう).Helmholtzが検眼鏡を発表したのは、そのわずか4年後のことだ.Babbageの検眼鏡の実物は残っていない.Wharton Jonesは大部の教科書『Principle and Practice of Ophthalmic Medicine and Surgery』の初版では検眼鏡のことは触れず、Helmholtzの発表後14年たった1865年の第2版で1章を割いて次のように書いている.「It has been suggested by benevolent critics that Babbage's use of mirrored glass rather than a mirrored lens might explain Jones' failure to comprehend the importance of his patient's briliant discovery. The eye doctor, it seems, suffered from short sight.」Babbageの検眼鏡には補正レンズまでは用意されていなかったから、近視の Jonesには鮮明な映像は結ばなかったのかも知れない.いずれにせよ、英国のBabbageファンはドイツに検眼鏡発明の栄誉を持っていかれたことを残念がり、その責任はJonesにありと批判する風潮がある.

Ruth Richardson: Babbage's ophthalmoscope. Lancet 2002; 359: 450
Snyder C: Charles Babbage and his rejected ophthalmoscope. Our Ophthalmic Heritage, Little Brown Co, 1-3, 1967
http://www.medterms.com


<編集後記>
旧年末京都で開催された神経眼科学会ではミシンガン大学Trobe教授のホットな研究課題についての講演や、神経眼科学会が編集した『神経眼科用語辞典』のことが話題になりました.そこで、神経眼科領域の現状がどうなっているか『神経眼科文献データベース』を作ってさまざまなことを調べております.今回は専門用語の表記の調査結果です.インターネット経由でPubMedという充実したデータベースのおかげで1万件を超える論文を概観することができます.膨大な研究資料を全世界に無料で配付している国立医学図書館(National Library of Medicine)を配下にもつ米国医学界の奥の深いことに改めて感心しております.オンライン出版がふつうのことになるのは目前、書籍や雑誌による紙情報の命運がどうなるか、10年後には答が出ているでしょう.
監修:鹿児島大学名誉教授  大庭 紀雄  

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