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第5号 11/11 2002
近着最新情報

弱視の長期予後(BJO)
幼年期に治療した24例(片眼性)の斜視弱視、不同視弱視の経過(平均10.4年、SD=1.9年). 弱視眼の視力:低下17%、不変50%、上昇33%;非弱視眼の視力:低下8%、不変38%、上昇54%(ただし0.2 logMAR以上変化した眼はない). 10年を経過すると非弱視眼の視力の向上が著しく、弱視眼の視力は原則として安定している.
酸素一酸化炭素混合ガス吸入の網膜血流への効果(BJO)
健康志願者(12人)のランダム化二重盲検試験、種々の割合の混合ガスを10分吸入、 Laser Doppler velocimeter、Zeiss retinal vessel analyserを用いて網膜の血流速度と血管径を測定. 純酸素、二酸化炭素との混合酸素を吸引すると網膜の血管は狭くなり、血流は顕著に減少する. これは、血管内pHの変化によるものではなく、炭酸ガスによって代償することはできない.
初期緑内障視機能変化の特徴(BJO)
緑内障の初期に、特定の視覚系細胞が障害されやすいかどうかを心理物理的検査で検討. Magnocellular pathway を抽出する為の刺激(0.5 c/deg, 16 Hz)に対する感度は低下するが、 parvocellular pathwayの感度低下もあって、両細胞系が損なわれている、という実験結果であった. つまり、緑内障の初期にはmagnocellular pathwayの選択的障害があるという見解は追認できなかった.
視力とドライバーとの関係(BJO)
豪州での2594人(年齢平均62.5歳)の視力とドライブ経験を調査.視力0.5未満と0.5以上とで事故率に差異はない. 2.6%が視力0.5以上という免許基準を下回る視力で運転している. 3万キロ以上の運転歴をもつと、加齢とは無関係に事故率が増した.
ラタノプラストによる虹彩色調変化(BJO)
スペイン(マドリード)での調査. 43例の片目だけに長期にわたって点眼、経時的に写真撮影、左右眼の虹彩色調を盲検. 30(69.7%)が虹彩の色調に左右差(Iridial anisochromia)、15例は"granular"、 15 例は"Stromal pigmentation"の色調変化を来たした.従来の報告よりも高頻度であり、人種が関係するかもしれない.
有水晶体眼シリコンオイル硝子体内注入後白内障(Graefes)
水晶体上皮には、"Posterior fibrous pseudometaplasia"と名付ける事象が発生するが、 線維芽細胞が実際には関与するのではなく、後方に移動した水晶体上皮細胞がコラーゲンを産生することによる.
中年期外転神経麻痺の原因疾患(Graefes)
20-50歳では、全身病に合併する場合の最頻疾患は脳腫瘍、単独発症の場合の最頻疾患は多発性硬化症だった.
5-FU併用線維柱帯切除術の長期経過(Graefes)
術後1年目で眼圧調整に成功した87症例の平均8年間(平均)の経過を追跡. 眼圧が依然として21 mmHg だったのは5年後で61%、10年後で44%、14年後で41%であった.
デキサメサゾン点眼の薬剤眼内移行(Ophthalmology)
硝子体手術前に薬剤を計画的に頻回点眼(20人)、術開始時に前房水、硝子体、末梢血を採取、薬剤濃度を測定. 従来調査による結膜下・テノン嚢下・内服による眼内移行と異なって、点眼によっては硝子体へはほとんど移行しないし、 前房への移行も結膜下注射よりもはるかに低いことが明らかになった.
インドのロービジョン人口(Ophthalmology)
各種年齢の1万人以上を詳しく検査. ロービジョンの頻度は1.05%(95%CI=0.82 1.28%). 原因疾患の局在は網膜(35.2%)・弱視(25.7%)・視神経(14.3%)・緑内障(11.4%)・角膜(8.6%)の順番に大きかった. 加齢と低所得に依存して頻度が増した. この資料から推定すると、2000年現在のインド人口を10億1千万とすると、百万6千人がロービジョンを患っているとみられる.
副腎皮質ステロイド薬と中心性網膜炎(Ophthalmology)
Prospective case-control studyによれば、中心性網膜炎と副腎皮質ステロイド薬使用病歴とは有意の相関を示した. 副腎皮質ステロイド薬を使用する場合には中心性網膜炎発症のリスクが高まることに留意すべきである.
Perfluoro-n-octan 使用による網膜巨大裂孔治療の検討(Ophthalmology)
212例の前向き検討.視力0.1以上は術前27%・術後半年で47%だった. 30%が再剥離を来たして再手術、半年後の合併症は角膜浮腫(4%)・高眼圧(3%)・低眼圧(9%)であった. 有水晶体72眼の85%が白内障を併発した. 網膜剥離再発因子には女性・若年・術前PVR・硝子体手術既往歴・強膜バックル(ー)などがあった.
網膜剥離復位1年以上経過後の再剥離(Ophthalmology)
網膜剥離が完全に復位してから1年以上と長い時間を経てから起こってくる再剥離には、硝子体の基底部が重要因子であり、 併発したPVRはたぶん原因ではなくて続発したものであろう.
線維柱帯切除術における5-fluorouracilとMitomycin Cの比較(AJO)
103例の緑内障患者を用いたProspective double-masked randomized clinical trialによれば、 術中の5-FU局所使用の眼圧下降効果はMMCと遜色はない.



診察メモ
HTLV-I 関連ぶどう膜炎(HTLV-I associated uveitis, HAU)

 症例:37歳男性.3年ばかり前、右眼に飛蚊を感じたがまもなく軽快したことがある.3週前、右眼が急にかすんだので近医を受診、 原因不明のぶどう膜炎と診断されて副腎皮質ステロイド薬の点眼と内服を行った. 視力は回復したが前眼部の炎症は完全には消退しない、原因が判明しない、ということで紹介されてきた.
初診時の所見:矯正視力は両眼とも正常.眼内は左眼はまったく正常である. 右眼には軽度の炎症所見、すなわち前房に軽度の細胞遊出とフレア、虹彩の表面には Koeppe結節様の結節が主として瞳孔下縁に十数個沈着、 前部硝子体から後部硝子体に軽度の微塵状混濁、後部硝子体で赤道部網膜に接するようにKoeppe結節様の灰白色・境界不鮮明の点状混濁が散在する. 眼底はややかすんで見えるが、一見したところ網膜脈絡膜や網膜血管に著変はない. ただし、蛍光眼底造影で黄斑部に十個ほど、赤道部に十数個の網膜毛細血管瘤がクラスターをつくっている.

 

患者は全身的にはまったく健康であるが、ぶどう膜炎の所見を確認したので血液生化学などさまざまな検査を行った. 前医での胸部X線検査などを含めて原因に結びつく所見はまったくなかった. 患者は現在は名古屋近郊に在住するが、出身地を尋ねると長崎であることが判明した. 血清の抗 HTLV-I 抗体を調べたところ、陽性であることが判明した(念のために2か月後の再検でも抗体価512倍と陽性であった). ぶどう膜炎の経過、病巣の性状、抗 HTLV-I 抗体の検出などから、加えて積極的に既知のぶどう膜炎を診断すべき所見がないことから、 HTLV-I 関連ぶどう膜炎と診断された. この疾病の経過は多くの場合に良好であることから、副腎皮質ステロイド薬の内服は中止して点眼だけを継続、2ー3週の間にフレアセルメーター値は低下、Koeppe結節様結節もほぼ吸収された. 初診から4か月の現在、薬物を使用することなく見守っているが、軽度の硝子体微塵による飛蚊症は持続するものの炎症が再燃する気配はない.
 さて、 HTLV-I 関連ぶどう膜炎(HAU)であるが、80年代後半に南九州で発見された新型ぶどう膜炎で、レトロウイルス HTLV-I が関連する. 20代から30代の健康な男女に、主として急性の前部ぶどう膜炎の徴候を来たす.患者は急性霧視を訴えて来院、角膜裏面沈着物、虹彩結節、網膜血管炎などがみつかる. 経過は一般に良好で、副腎皮質ステロイド薬にもよく反応して1ー2か月以内に消退するが、特徴的なことは再燃することがすこぶる多いことで、片眼発症、両眼発症、左右眼交互発症などさまざまである. いずれにせよ、経過はその都度良好で、重い後遺症を残す事例はまれである(右図は上記症例とは別).
  HAUに医学的にはいくつかの課題を残している. 診断基準であるが、疾病特異的徴候はないので抗 HTLV-I 抗体陽性で、他のぶどう膜炎原因疾患の除外が大切である. 感染疫学に特徴のあることで感染頻度は鹿児島、沖縄をピークとして西南日本に偏っている.従って、原因不明のぶどう膜炎の事例では、出身地を尋ねてみるのは無駄ではないこと、 九州出身であれば抗 HTLV-I 抗体を調べてみるのもよいことをこの症例は教えてくれるであろう.
HAUの原因が HTLV-I であることは間違いないが、どういう病的過程で眼に徴候が現われるのかは今でも不明である. このウイルスは成人 T 細胞白血病の原因ウイルスとして発見されたのであるが、数年遅れて慢性神経疾患 HTLV-I associated myelopathy の原因でもあることが判明して俄然注目を集めた歴史をもっている. なぜ同じウイルスが悪性血液疾患と慢性神経疾患というまったく異質の全身病を起こすのかについてはかなりの知識が蓄積してきた. HAUは神経疾患に併発することが稀でなく、その成因には免疫機序がはたらいているにちがいない.眼科領域のウイルス疾患といえば、 アデノウイルス、単純ヘルペス、帯状疱疹ヘルペス、サイトメガロウイルスであろうが、これらが原因で起こった急性炎症の場(病巣)には必ずウイルスが増殖している. ところが、HAUの場合には、こうしたウイルスはまったく見つからないのであって、ぶどう膜炎の病変はウイルス直接の作用ではなく免疫反応を介した炎症であることを教えてくれる.

 






Jose Rizal (1861-1896)フィリピンの改革思想家. 19世紀末、スペインの圧制からの解放闘争を理論的に主導、祖国独立の国民的英雄として知られている.
 ルソン島中部の富裕な名家に生まれたRizalは、マニラ大学で文学と医学を学んだが、 大学は人種差別がひどいドミニコ教会派によって運営され、フィリピン人は"Indio"と呼ばれ半人間("humanoid")扱いだった. 母親は冤罪で2年半も監獄に入れられた.Rizalは1882年、スペインに向かいマドリード大学に入学、 諸外国語(ギリシャ語、ラテン語、ドイツ語、フランス語)と人類学を学ぶとともに、フェンシングや射撃で体を鍛えた. 在学中から小説を書き、祖国に対するスペインの不正義と圧制を指摘した. この小説がフィリピンで公刊されると大きな反響を呼び、当局の検閲で非難されたが、かえってRizalの国民的人気を集めることになった.
 医師免許を得たRizalは眼科を専門に研修した. 1985年から2年間、パリに留学して眼科学界の第一人者であったDe Wecker(尖刀に名前が残っている)から眼底検査法と手術法を学んだ.

さらにハイデルベルグに半年滞在、Heidelberg大学眼科初代教授Becker(第7回国際眼科学会長、1888年、同大学構内には彼の滞在記念碑が残っている)、 帰途ベルリンとウイーンに寄ってSchweiger、Fuchsにそれぞれ師事した.1887年帰国して郷里で眼科を開業したが、ドミニカン修道会からの迫害を受けたので、家族や友人の忠告で再出国して香港に数日滞在、日本を経由して渡米(アメリカにはSan Franciscoなど何ヶ所かにRizalの飾壁が残っている)、さらに英国に渡って1891年、二つ目の小説 El fillbusterismo を発表した.この小説のタイトルは海賊、略奪者、「危険な愛国者」という意味であった.スペイン当局は、この書物は改革を喧伝し圧制に抵抗する勇気あるフィリピンの愛国者を決起に導くものだとして警戒を強めた.1891年香港で開業、翌1892年に母国に帰ったが、同年6月拘束されミンダナオ島に送られて4年以上も監禁状態におかれた.しかし眼科の開業は許可され、多数の患者が遠方からも押し寄せて診察や手術に多忙であった.Rizalが自分の母親の白内障手術を行ったこともよく知られている.その当時は一般的ではなかった虹彩切除術の併用も世界に先駆けて行っている. やがて軍医としてキューバへ行けという命令で軟禁から解かれたが、マニラに上陸すると拘束されバルセロナ行きの蒸気船に移された. スペインからのキューバ行きを拒否したために直ちにマニラに帰されて、軍事法廷にかけられて12月30日処刑されたのである. フィリピンではRizalの処刑日は現在まで国家記念日になっている.

 


 
 

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