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第4号 9/25 2002
近着最新情報 (国際誌 September issue)

未熟児の屈折(BJO)
未熟児では網膜症を発生しなくても屈折異常を来たすことが多い.59名の未熟児の調節麻痺屈折度を生後6、12、48か月で調査.対照と比べると、近視、不同視の頻度が大きい.
高齢者の血圧と網膜細小血管異常との関係(BJO)
コホート2405名(69-87歳)の血圧と眼底写真を検討.高血圧患者では、網膜細小血管異常が著しく多く、その程度は血圧値と持続期間に依存する.
高血圧性網膜症は心筋梗塞のリスクを高める(BJO)
コホート560名(高血圧、高脂血症)について、眼底所見と心筋梗塞との関係を調査.8年の経過を調べて判明したことは次ぎのとおりである. 51名が心筋梗塞を発症した.高血圧性網膜症(びまん性動脈狭細、局所性動脈狭細、動脈壁反射亢進、出血斑、白斑、毛細血管瘤、乳頭浮腫)を示した中年男性での心筋梗塞を発症するリスクは、 そういった所見を示さなかった人よりも2倍に上昇、網膜動脈が狭細化していた人では3倍のリスクを示した.
中国人における近視の社会的背景(BJO)
軸性近視の頻度は、高学歴、高収入、近業を要する職業と関連する.
翼状片とp53(Eye)
翼状片切除組織におけるp53の発現を調べると、組織中の増殖細胞を含む部分で発現が確認され、変性した部分では発現していない. こうした所見は再発病巣で顕著にみられる.
抗てんかん薬vigabatrinの副作用:視野異常(BJO)
長期内服中の100例を調査すると、20例(20%)が高度の視野狭窄を示した.視野異常の程度は、服薬を中止しても良くも悪くもならない. 男性のほうが抗てんかん薬の副作用を来しやすい.
虚血性視神経症のMRI(Ophthalmology)
64例の虚血性視神経症を検討.血管炎性(arteritic ION)であるか非血管炎性(non-arteritic ION)であるかを識別するの MR画像は有用である.(コメント:日本人の虚血性視神経症はほぼすべて非血管炎性である.)
加齢黄斑変性の初期病巣:網膜血管と脈絡膜血管との吻合(Ophthalmology)
Occult CNV 205眼の初期病巣を詳しく画像検査すると、57眼という多数にretinochoroidal anastomosesが見られた.
加齢黄斑変性脈絡膜血管新生の放射線療法(Arch Ophthalmol)
英国におけるrandomized control trial (199 cases) with a total dose of 12 Gy of 6-mV photons in 6 fractions.有効だという結果は得られない.
増殖糖尿病網膜症と細胞成長因子(Am J Ophthalmol)
Insulin-like growth factor (IGF)、vascular endothelial growth factor (VEGF) は増殖糖尿病網膜症眼の硝子体で増加している. 増殖の病因として直接かかわるのはVEGFであることを確認した.IGF増量の意味はよくわからない.
Progression of visual field loss in untreated glaucoma patients and glaucoma suspects in St. Lucia, West Indies (Am J Ophthalmol 2002; 134: 399-405)
1986-1987年に開放隅角緑内障検診、10年間にわたって無処置だった205例(疑診を含む)を再度検討.右眼55%、左眼52%で視野異常が進んだ. 視野の増悪は、性・眼圧・初診時視野とは関連せず、年齢と関連した(P<.001).Advanced Glaucoma Intervention Study criteriaに準じて統計検討すると、10年間無治療だと16%が重度視野障害を来たすと想定する事ができる. (コメント:ユニークな研究資料、開放隅角緑内障を放置すると確実に失明に近付くことを実証).
緑内障眼と眼球脈波(BJO)
眼球脈波の振幅(ocular pulse amplitude)は正常眼圧緑内障の検出に有用である.
原発開放隅角緑内障 (20名)、正常眼圧緑内障 (20名)、 高眼圧症(20名)、正常(20名)を対象に、眼圧と眼球脈波振幅を同時に測定(The SmartLens dynamic observing tonometer, Switzerland). 正常眼圧緑内障眼だけが、脈波の振幅低下を示した.血圧との関係はなかった.眼球脈波の測定は、正常眼圧緑内障の検出に有用であろう.
深前房の急性眼圧上昇の処置には前房穿刺が有効である.(Ophthalmology) Risk, causes, and outcomes of visual impairment after loss of vision in the non-amblyopic eye. A population-based study. Lancet 2002; 360: 621-622.
いわゆる機能性弱視(amblyopia)のまま成人した場合、非弱視眼(non-amblyopic eye)が、一般人と同じように、さまざまな疾病に罹患して視力低下を来たすことがある. 英国におけるこうした事例37例を集めている.原因は網膜の血管障害や加齢黄斑変性や外傷が多い.非弱視眼の視力が低下すると、驚くべきことに、それまで不良だった弱視眼の視力が見るべき程度まで改善するのが確認された. その機序は不明であるが、脳の可塑性の問題がからんでいるのかもしれない.
 (コメント:30年ほど前は弱視の知識や幼児期の検診機会が乏しかったので、 重度の片眼弱視を残した斜視弱視や視覚刺激遮断弱視の症例をよく診たものである.そうした症例は、今や中年から壮年になって非弱視眼にさまざまな疾病が発生する事例があるに違いない. 脳の可塑性という問題とからめて興味ある知見である.)



診察メモ
遺伝性眼疾
<常染色体劣性遺伝病の家系図>

 

常染色体劣性遺伝病の疾病発現と疾病遺伝子(原因遺伝子)との関係から、よく見られる家系は次の場合である (特定の常染色体に局在する一個の変異遺伝子の作用によって病気になる).
◆患者の父母はともに、野生型遺伝子(ある遺伝子に関して、大部分の人々がもっていて遺伝子本来の作用を行う遺伝子)と 変異型遺伝子(さまざまに変異して病的効果をもたらす遺伝子)とをヘテロにもっている.

 

変異型遺伝子の作用は野生型遺伝子に対して劣性であるから、病気を表すことはない.
◆患者は変異型遺伝子をホモにもつ.
こうした遺伝病の家系図の特徴は、患者の親から上の世代(祖父、曾祖父、...)、あるいは患者の子孫(子供、孫...)に患者はいないこと、 患者の同胞あるいは同じ世代(いとこ...)に患者が発生することである. つまり、患者は家系図で横方向に現れ、縦方向には現われない(近親婚が重なるとこの限りではない). また、患者の親に近親婚がしばしば見られることである.
図示したのは、ごく稀な脳回状網脈絡膜萎縮(gyrate atrophy)の欧州家系の実例である.同じ世代に横の系統に複数の患者がでている、 親よりも上の世代には患者はでていない、患者の親は近親婚である、といった常染色体劣性遺伝病の家系図の特徴をよく例示している. 患者の世代で3組の近親婚があってホモ遺伝子型の発生を促している. 彼らが共有するのは実に7-8世代前、つまり250年も遡った保因者である. こうした長い期間にわたって数知れない保因者(ヘテロ遺伝子型)が病的遺伝子を子孫に綿々と伝えたのである(家系図では省略してあるが、少なくとも100人以上の保因者がいたであろう). 例示した家系では、現世代の患者の親が近縁関係にあるかどうかを質しても「過去数世代では親類関係はない」と答えるにちがいない. こうした事例では「親のルーツは同じ地域である」といった答えが参考になる.
遺伝性眼疾患は生命に別状を来たすことがないから、疾病遺伝子は地域集団中あるいは人類集団中にヘテロ遺伝子型で保存されてきた.稀な常染色体劣性遺伝病であればあるほど、患者の親の近親婚がより多く見られる.戦後の日本では近親婚がとみに減少したので常染色体劣性遺伝病の患者は戦前に比べると相対的に減少した(他方相対的に保因者が増加した).ゆえに、もともと稀な疾病であるほど一層稀にしか発生しなくなった.例えば小口病や先天全色盲の患者を診る機会は最近はめったにないと思われる.加えて、近年の少子化傾向によって、同胞のサイズが小さくなったので孤発例(散発例)がますます一般的になってきた.「自分以外には近くにも遠くにも親類縁者に同じような病気は見当たらない」からといって常染色体劣性遺伝病を除外することはできない.

 



各界で名前を残した眼科医 1.ザメンホフ Ludwig Lazarus Zamenhof (1859-1917)
 エスペラント語の創始者.1859年、ロシア支配下のポーランド東部のBialystokにユダヤ系ポーランド人として生まれた. 幼児からロシア語、ポーランド語、リトアニア語、ドイツ語などの多言語併用地域に生活して異民族間の反目、闘争をみて、 言語の相違がその原因の一つであることを感じた.天与の語学的才能を駆使して国際補助語エスペラントを考案し、 1887年にこれを公表した.エスペラントは考案されたこの種のものの中で最も有名である.

 ザメンホフは1885年ワルシャワ医科大学を卒業、リトアニアの小さな町Veseviで内科を開業した. 患者にはとても親切でしばしば無料で診療したが、体力に自信がなく強度近視もあったので一般開業を続けるのは無理であると判断して、 まもなく眼科に転向することにした. 当時世界の眼科をリードしていたウイーン大学で1886年から眼科を研修したあと、故郷のポーランドに帰った.ワルシャワ、 黒海沿岸のKherson、ワルシャワ、Grodnoと転じながら眼科の診療に従事した.健康が優れないこともあって眼科は盛業だったとはいえないようである. 1898年にワルシャワに落ち着いた.ザメンホフは、フランス眼科学界の大御所Emil Javal(ophthalmometerの創案で著名)と親しかった. 軍医としてポーランドに従軍した機会に親交を結んだもので、Javalはエスペラントの普及に努力を惜しまなかった. ザメンホフは晩年、緑内障のために視力を失ったが、スペインIsabel赤十字勲章、ケンブリッジ大学名誉博士など欧州各国から顕彰された.
エスペラント語は大言語圏以外の諸民族の間の学術文化や商業交流に、世界中の平和主義者の間でなにがしかの役割を演じたり好事家の趣味として愛好されたりしたが、 広く一般に使用されるまでには至らなかった.
インターネットが普及して世界を結んでいる現在、ザメンホフが生きていたら「インターネットはエスペラントそのものだ、我が理想が実現して感慨無量だ」といった感想を述べるかもしれない.

 


<編集後記>

暑い夏がようやく過ぎて、これから天高く馬肥ゆる秋、収穫の秋、読書の秋を迎えます.
エスペラントのことは戦後間もない頃はよく耳にしました. その後は英語(米語)一辺倒となり、とうとうインターネットの時代になりました. 眼科医の中にはコナン・ドイルはじめ眼科医以外の分野で大活躍した人々もかなり多く見られます.

大庭 紀雄

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